歌言⑥

歌言⑥

「なかなかの色男ぶりでしたね」

 社長室に入ると、いつから居たのか篠宮がそう言った。何気ない口調だった。

 彼女にそういう過去があるとは、なるほど桂城の好きそうなパターンだ。

 桂城は渋い顔を見せた。

「窓からか。知らないふりは得意だろう。お前」

 嘘ばかり付いていると、胸が痛む。篠宮は口には出さなかった。

 彼女の歌声は益々艶を増していく。紡ぐ歌詞の裏から、切ない気持ちが零れ出していく。来たときよりもずっと彼女の歌は深みを増している。やっぱり恋をしていると違うんだねと、ウエイターが無駄口をきくのを視線でたしなめて、篠宮はその歌声を聴いていた。

 彼女は少し無口になった。何を考えているのか、傍にいることが多くなった篠宮には分かっていた。

 

 「今夜はダンスパティーなの?」

 パールの入った薄いオレンジ色のマネキュアで飾られた指が、篠宮の袖の裾を軽く引っ張った。

「そうです。あなたも、楽しんでください」

 今夜はさるダンスクラブの客たちが来るので踊れるようにフロアを大きく取ってある。ホステスたちも広がる裾のドレスを嬉しそうに泳がしている。

「あなたは?」

「仕事中ですから」

 彼女の瞳が深い色を秘めるのを、篠宮は視線の端で見ていた。

 色とりどりのドレスを着た女性達が熱帯魚のように流れていく。歌姫は何人かの誘いを断って、壁の近くの席でそれを眺めていた。

「八神さん。踊られないですか?」

 ウエイターのひとりが側へやってきてそう囁く。

「…社長さん、どこ?」

「え? ああ…奥の席にいらっしゃいますよ。ほら…」

 その手の先に視線を投げて、彼女はきゅっと唇を噛んだ。そして背筋を伸ばす。瞳が精気を取り戻したようにゆっくりと輝く。彼女はフロアを横切って歩き出した。意を決したような彼女の姿は、遠い席に居た桂城の所まで真っ直ぐに届いていた。客の一人と談笑していた桂城も視線を上げる。そして、彼女が近づいてくると自然に立ち上がった。それくらい彼女の姿は真剣だったのだ。

 二人は向かい合う。彼女はゆっくりと口を開こうとした。だが、その一瞬前。すっと誰かがその緊張を解くように間に滑り込んだ。

「姫様。お手をどうぞ」

 桂城の一歩手前で、篠宮はきっちりと紳士の礼をとって彼女を誘った。

 彼女の瞳は凍りついたように篠宮を見つめている。周りから上がった、ホステス達の悲鳴に似た嫉妬の声も彼女には聞こえていないようだった。ウエイター達でさえ手を止めて、前代未聞のことの成り行きを見守っている。

 やがて、彼女はツンと顎を上げて篠宮を睨んで、その手を取った。フロアの中央に進み出て、彼女の細い手は篠宮の肩に優雅に乗せられた。似合いの美男美女だと周りのため息を誘う。

「…ふうん…」

 再び座り直した桂城はそれを眺めている。ウエイターの一人が飛んで来て、桂城の後ろで歯ぎしりする。

「社長! あのあのあの…」

「あいつ…なかなかうまいもんだな…」

 小声だが、うるさくわめく小笠原を無視して桂城は感心している。

「最近、らしくないですよ。何とも思わないんですか?」

 桂城はうるさそうに後ろを振り返ってにやりと笑った。

「俺はな、自信家なんだ」

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