歌言③
彼女が篠宮のことを気に入ったらしいのは一目瞭然だった。彼は誰にも丁寧で平等だった。なので大勢のホステスの中にも出し抜こうとする女はいなかった。
しかし、彼女は何かあるとわざわざ篠宮を探して文句を言ったりねだったりする。まるで恐れるものがないかのごとく強引だった。
「マネージャー。内線電話がかかっています」
滑るようにやってきたウエイターが耳元でそう告げる。篠宮は小さくため息をついた。閉店前になると捕まえようとする桂城の魂胆など見え透いている。だが、カウンター裏にある電話に篠宮が答えると、嬉しそうな笑い声が耳に入った。
「私よ」
「八神さん」
彼女の声はあくまで明るかった。事務的に対応する篠宮に、彼女はやり方を変えたらしい。
「ねえ、新しいドレスを作ろうと思うのよ。あなたの今度の休みはいつ? 付き合って欲しいの」
「…」
「社長がね、作ってくれるって。今、代わるわ」
つまり利害の一致をみたという訳だ。篠宮の視線が一瞬だけ険しくなったが、すぐにいつもの顔に戻って電話に向かう。
「店に合った雰囲気の衣装が欲しいそうだ。付き合ってやれよ」
「お言葉ですが…誰か、暇な者に行かせてくれませんか」
「ご指名だぜ。暇になりゃいいだろうが」
あいかわらず厭味が通じない男だ。
篠宮が受話器を置くと、何事かとちょび髭を蓄えたフロアマネージャーが心配そうに見ている。篠宮はそれに苦笑で答えた。
「姫様の買い物に付き合わされることになりました」
「いや~。さすが、積極的ですねえ」
確かにそうかもしれない。桂城の部屋から電話などかけてくるあたり。彼女の声には戦いを挑む女戦士のような勝気な色が秘められているように、彼には思えた。
彼女が選んだのは、落ちついたトーンの背中の大きく開いた服だった。篠宮にはちょっと意外だった。彼女には強い赤や黄の方が映えるように思えたのだ。それを察したのか彼女は上着をはおりながら言った。
「私の売り物は歌よ。私自身が着飾ったって仕方ないでしょ。言いたいことがあったら歌で言うわ」
そしてちょっとからかうように篠宮を振り返った。
「あなたはいつも黒っぽい服を着ているの? ポリシーか何かあるわけ? 黒にこだわるのって性格暗いわよ」
大きなガラス戸を自分で押して外へ出ていく。篠宮は後を追って呟いた。
「お返しにひとつ。ポケットに手を入れるあなたの癖はあまり感心しませんね。特にステージでは」
「そんな癖なんてないわ!」
そう言いながら、彼女の手は上着の左ポケットに入っている。
「………気を付けるわ」
膨れた様がなかなか可愛らしくて、篠宮は軽く失笑してしまった。
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