歌言④

歌言④

 

 

車に戻ると丁寧に聞く。

「どこへお送りしましょうか?」

「まだ早いわ。六時よ」

 昼過ぎからずっとブティック巡りに付き合わされて少々げんなりしている。

「そこで止めて」

 しばらく車を走らせると彼女が不意に言った。盛り場に近い大通り、篠宮は素直に車を横に寄せた。

「今日はありがと。無理言ったわね」

 白い手が肩に置かれて、彼女の勝気に光る瞳に視線を向けた途端に、鮮やかな赤が唇の上に広がる。彼女の唇は柔らかだった。

 篠宮は一瞬動きを止めたが、その腕は軽く彼女の体に回っていた。

「…黒服落としでもする気ですか?」

 少々からかうように言った篠宮に、彼女はちょっときつい目をして声を荒らげた。

「…嫌な男ね! もう!」

 彼女が道の向こうを走っていくのを、篠宮は座席を少し倒して見ていた。手の中に残ったものが、彼を責めたてる。それをポケットに仕舞い込んで、彼女の癖が移りそうだと苦く笑った。

 

 

「口紅がついてるぞ」

 上機嫌で篠宮を迎えた桂城が、玄関でからかうように言う。篠宮はそれを無視した。そんなことは確認済みだ。

「すぐに失礼します。領収書をお届けにあがっただけですから…」

 言葉はそこで途切れてしまった。桂城のくちづけは熱くて強引で、食らってやろうという意志が見え見えで、目眩がした。

「何を怒っているんだ? 歌姫が気に入らんのか?」

 熱い息から逃げるようにして篠宮は答えず、桂城の腕に眉を顰める。

「放して下さい」

 腕はしっかりと篠宮の腰に回って抱きしめようとしてくる。

「彼女の誘いを受けるなら、俺の誘いも受けるよな、お前」

 どちらの誘いも受けないのが一番いい手なのに、と篠宮は言いたそうだった。

 

 

 「お前はいい男の条件を備えているな。女に恥をかかせない」

 ベッドに寝そべって桂城が笑う。

 無責任な事を言うと思ったが、篠宮は黙って椅子の背に掛けてあったローブを取って立ち上がった。

 歌っている間、彼女は何度か目を伏せていた。瞳は切なげだった。どこを見つめているのか。

「…昨日、帰りにまた彼女に捕まってな、…お前の事をいろいろと聞かれたぞ」

 篠宮は少々驚いた瞳で振り返った。

「好きなことは何か、どんな花が好きかってな」

 確かに、積極的だ。篠宮はほんの少し思考を巡らせた。そして珍しく戸惑ったように問う。

「社長。…何故…カフスを?」

「お前にはすぐに分かっただろう?」

 悪戯に満足した子供の顔で、話は逸らされてしまう。口ごもった篠宮に、今度は桂城が問うた。

「あの歌、嫌いか?」

「…そうではありません…」

 桂城はそれじゃあいいじゃないかと、機嫌良く笑う。

 篠宮は窓のガラスに映った桂城の顔から目を逸らせて、視線を落とす。彼女の歌は何かを思い出させる。思い知らせる。それは決して不快ではなかったけれど。

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